B級映画の金字塔、「シャークネード」シリーズを只管に紹介する。映画の詳しい情報が知りたければ「シャークネード」シリーズは記事末に、その他記事内で紹介する映画作品はその都度、「映画.com」へのリンクを添付してある。気になった作品は自分の目で観るといい。
これが「シャークネード」だ

映画タイトルから想像は容易だろうが、「シャークネード」とはサメ映画である。シャーク(サメ)とトルネード(竜巻)とを掛け合わせた造語の単純明快なタイトルだ。そのタイトル通り、巨大竜巻と共に現れるサメの大群が人々を恐怖のどん底に叩き落とすモンスターパニック映画である。
作品の顛末を視聴前に知ってしまう所謂「ネタバレ」を好まない者は本項を読む必要はない。さっさとレンタルビデオ屋に行って本作を借りて来い。

伝説の始まり。「シャークネード」
さて、「シャークネード」のあらすじだ。本作の主人公はフィン・シェパード。カリフォルニア州の海沿いでバーを経営している。かつてサーフィンの大会でチャンピオンになるなど、高い身体能力・観察眼の持ち主であり、優しさ、正義感をも持ち合わせた真の男だ。しかし、極度な心配性でもある。彼はヒステリックなまでに自然災害に怯え、備えるという悪癖があるのだ。その悪癖を煙たがられてしまい、家族とはうまくいっていない。物語は、メキシコ沖で発生した竜巻が、主人公フィンのいるカリフォルニア州へ接近していくところから始まる。その竜巻はやがて大きく成長し、海水を、そしてサメを巻き上げて、人々を恐怖のどん底へ叩き落としていく。サメを巻き上げて人々を蹂躙する竜巻「シャークネード」からは逃げられないことを悟ったフィンは武器を携え、未曾有の大災害と戦うことを決意するのだった。彼は家族との絆を取り戻し、街を救うことができるのか!?
以上が、「シャークネード」のあらすじだ。この映画について熱弁してきた割に、普通のモンスターパニック映画だなと思った君。安心してほしい。この「シャークネード」、なんと次々に続編が発表され、全6作品のシャークネードVSシェパード家の壮大なサーガとして大成するのである。各作品について簡単に説明していくことにしよう。
恐怖の大災害再び。「シャークネード カテゴリー2」
2作目「シャークネード カテゴリー2」の舞台はニューヨーク。今回はなんとシャークネードが複数同時に出現する。チェーンソーを手にサメを一刀両断するフィンの勇姿は必見。ラストシーンの再プロポーズはある意味、涙無しでは観られない。

新たな命の誕生、そして別れ。「シャークネード エクストリームミッション」
3作目「シャークネード エクストリームミッション」では妻エイプリルの妊娠やフィンの父親であるギルバートの登場など、家族のエピソードを強調していき、サーガとしての形を成していく。父と衝突しながらも、フィンは愛する家族のためにサメをぶっ飛ばす。勿論、おバカなサメ映画だという事も忘れてはいけない。今作ではなんと宇宙でサメとバトる。

物語は更にスケールアップする。「シャークネード4」
まだまだ終わらない。「シャークネード4」ではラスベガスやナイアガラの滝を舞台にシャークネードとシェパード家の戦いが繰り広げられる。詳細は省くが、妻のエイプリルがサイボーグになったり、フィンがパワードスーツを装着したりと、順調に物語が奇天烈な方向へスケールアップしていく。最高だ。

シリーズ屈指の衝撃作。「シャークネード ワールド・タイフーン」
そして5作目。「シャークネード ワールド・タイフーン」だ。毎度のようにサメと格闘するフィンであったが、重大なミスを犯す。息子ギルがシャークネードに飲み込まれてしまったのだ。息子を助ける為に奔走するシェパード家であったが、世界中を襲うシャークネードに悪戦苦闘。日本に上陸したシャークネードは更に変異してシャークジラとなって東京の街を破壊する始末である。サイボーク妻エイプリルの犠牲によってシャークネードを消滅させることには成功したが、ギルは依然行方不明のまま、世界中が荒廃してしまうのだった。最悪のバッドエンドだと思った瞬間、本作のラストで驚くべき展開を迎える。「ロッキー4」や「エクスペンダブルズ」でお馴染みのドルフ・ラングレン氏の登場だ。あの有名俳優がB級映画に出演しているだけでも十分すぎる程のサプライズであるが、あろうことか意気消沈のフィンへ「パパ」と呼びかけるのだった。

そして完結へ。「シャークネード6 ラストチェーンソー」
前作のラストシーンで、フィンに声を掛けた、ラングレン演じる中年男の正体は驚愕の人物。なんと前作でシャークネードに飲み込まれた息子ギルだったのである。物語は佳境へ。シリーズを通してフィンが揮ってきた最も印象的な武器、チェーンソーの名を冠したタイトルを引っ提げた完結作品だ。悪ふざけ、もとい、気合が一段と違う。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のパロディで始まる今作は、なんと時空を越える。中年のギルとデロリアンっぽい車に乗り込み、フィンがたどり着いたのは恐竜が闊歩する中生代。シャークネードの起源「シャークネード1号」を阻止するという使命を受けたフィンは、かつての仲間とともに壮大な時間旅行を敢行するのだった。長期に渡って続いたシャークネードとシェパード家との戦いの顛末を是非とも君たち銘々の目で確かめて欲しい。

今、B級映画ってバカにしたか?
ここまでの文を律儀に読んでくれた君。今、「なんだこのB級映画」って感じでバカにしなかったか?確かに、何かよく分からない変な映画を観るために、態々時間を割くのは惜しいという気持ちも分かる。だが、食わず嫌いは勿体無いと私は思うのだ。
ところで君。映画は好きか?勿論、私は大好きだ。80年代のアクションスターが悪態吐きながら悪漢へ銃をぶっ放すのが好きで、ホッケーマスクの怪人が鉈を振り回すのが好きで、ジェダイとシスが光る剣でチャンバラするのが好きだ。日記を読んでタイムスリップしたり、老いた刑事と若い刑事がイカれた殺人犯を追いかけたり、前向性健忘症の男が妻の復讐のために奔走したり。多様なキャラクター、多様な設定、多様なストーリーでもって、およそ2時間の上演の間に、現実から精神を自由にしてくれる最高のエンターテインメント、それこそが映画なのである。だが、どうだろう。映画を最高のエンターテインメントたらしめるのは映画の出来栄えや内容だけだろうか?それは断じて否である。映画を最高の状態で楽しむには、それに合ったシチュエーションが必要欠くべかざるものなのだ。「映画を最大限に楽しむためのシチュエーション」というものが、きっと銘々にあると思う。例えば、小洒落たカフェテリアの窓辺でこれ見よがしにマッキントッシュを広げ、ケーキをミキサーにぶち込んで作ったような甘ったるいドリンクを飲みながら、とか。あるいは、映画館に出向いて、クソ長い行列に並んで買ったキャラメルの匂いのキツいポップコーンを、クラッシュアイスのせいで結露してグシャグシャになった紙コップの味の薄いコーラでもって喉の奥へ流し込みながら、とか。一週間の疲れを溜め込んだ身体を引きずって帰宅し、晩飯を頬張りながら観る金曜ロードshowも良いものだ。十人十色の映画の楽しみ方がある中で、私の考える最高の「映画を最大限に楽しむためのシュチュエーション」とは、誰かの家に友人数人で集まり、酒を飲んでバカ笑いしながら観る、というものだ。この映画のこのシーンが最高だ!だとか、この結末はクソつまんねー!だとか、そんなガキのような感想を、近所の激安ディスカウントショップで買った名前も分らない安酒を呷りながら夜通し語り合うのである。無論、上品な映画や感動物の映画には、この視聴方法は適しているとは言い難い。しかし、チープで、低俗で、ド派手な映画にはもってこいのシチュエーションなのである。そんなシチュエーションに最適の映画ジャンルがある。それこそがB級映画なのだ。
どんな映画にも楽しく鑑賞できる方法がきっとあるはずなのだ。だから、食わず嫌いをやめて映画を観よう。
たとえそれが、今、君がバカにしている映画でも。

「シャークネード」を観る前にサメ映画について押さえておけ

本作の魅力を説明するために、他作品のサメ映画について説明しなければならない。いくつか紹介していこう。
サメ映画の大まかな体系・様式を確立したのは、かの著名な映画監督スピルバーグ氏の「ジョーズ」だろう。よもや未視聴の人間はいないだろうが、念の為。「ジョーズ」の舞台はアメリカ東海岸の平和なビーチ。そこに突如現れた巨大な人喰いサメ。観光収入が惜しい市長や、被害に遭った息子の仇をとりたいオバさんの愚鈍極まる対応によって、大勢の人が集まり被害が拡大していく。その後、なんやかんやあって、本作の主人公である警察官のブロディが、海洋学者のフーパー、サメハンターのクイントと共にサメ退治に出航する、といったストーリーだ。この映画の素晴らしさは、あの不安感を煽る印象的な音楽と、クライマックスの対決シーンまで極力サメをハッキリと画面に映さないところにある。サメは無論、水生生物である。水中の生物を陸上、或いは海上から明瞭に目視可能だろうか?否、不可能である。映画としては、サメの全体像をハッキリと観客に見せ、その強大さを示したいところだろう。だが、「ジョーズ」では、敢えてそれを行わず、姿の見えないサメと登場人物を格闘させることで、サメのリアルさ・恐怖を鮮明に描くことに成功しているのである。

「ジョーズ」の手法は、後に連綿と続く多くのサメ映画に受け継がれていくこととなる。例えば、「ディープ・ブルー」。この作品は、沈みゆく海上施設から、知能が大幅に向上したサメを掻い潜って脱出を目指す映画だ。姿の見えないサメから絶えず狙われているという緊迫感が堪らない。この映画では、人がサメに食われるシーンのみに限定して、サメの全体像を映すことで、よりショッキングな映像を作り出すことに成功しており、強烈なインパクトを観客に与えることとなった。近年ではジェイソン・ステイサムが主演の「MEGザ・モンスター」がその体系をよりスケールアップさせた作品と言えるだろう。だが、サメ映画とはそう単純なものではないのだ。
サメ映画は大きく2種類に派生したと私は考えている。一方は「ジョーズ」の文脈を引き継ぎ、純粋にサメの恐怖を描くリアル派。そして、新たに登場したものが、奇想天外なアイデアとサメとの融合を試みたファンタジー派だ。B級サメ映画と呼ばれる多くの作品がこのファンタジー派に属していると考えてもらっていい。従来のリアル派のサメ映画は、いかに緊張感のあるシチュエーションを作り、観客に恐怖を与えるかに注力していたように思う。そのシチュエーションを演出するために、試行錯誤を重ねた結果、「ビーチ・シャーク」や「ゴースト・シャーク」のように、海の脅威だと思われていたサメが、海を飛び出して人を襲うファンタジー派のサメ映画が登場したのだ。サメ映画の結末は大きく分けて三つしかない。死ぬか、殺すか、逃げるかだ。その三つの選択肢の内の一つである「逃げる」という選択肢を、あろうことか大胆にも端から除外してしまったのだ。これにより、サメ映画の結末はより過激でエキサイティングなものとなっていった。ファンタジー派のサメ映画の多様化には目を見張るものがある。先ほど挙げた「ビーチ・シャーク」や「ゴースト・シャーク」のように、通常のサメとは全く異なる特殊な特性を備えたサメたちの映画の台頭である。サメとタコを掛け合わせた「シャークトパス」シリーズや「ロボシャークVSネイビーシールズ」などの、サメのキャラクター性に力を入れた作品が数多制作された。他にもゾンビやデビル、多頭のサメなど枚挙に暇がない。これらの作品は、「ジョーズ」が確立したサメの姿を極力見せないという手法から敢えて脱却し、サメの個性を全面に押し出した非常に豪快なものとなっている。悪く言えば大味で胡乱な作品なのだが、サメ映画というジャンルを、おバカな最高のエンターテインメントとして確立していったのである。
「シャークネード」の魅力を知れ
前項では、様々な種類のサメ映画を紹介した。では、我らの「シャークネード」は、一体どんなサメ映画なのか説明しよう。
「シャークネード」はお察しの通り、前項で説明したファンタジー派のサメ映画だ。吹き荒れる竜巻の周囲を飛行するサメの大群。この絵面のインパクトは他のファンタジー派のサメ映画にも勝るとも劣らない。しかも、「シャークネード」は更に様々な奇想天外なアイデアを作品に放り込んでくるのだ。宇宙に行ったり、ワープしたり、時間旅行したり、オペラハウスが変形したり。とにかくもう観てくれ。面白いから。
「シャークネード」はただ設定がイカれてるだけの面白映画ではない。登場人物のキャラクターが存分に引き立った映画なのだ。登場人物たちの強烈な個性は他のサメ映画とは比較にならない程で、最近流行りのDCやマーベルのヒーロー映画に匹敵すると私は考えている。モンスターパニック系の映画において、ヒューマンドラマの比重や必要性について度々議論になるが、本作はサメが登場していないシーンも十二分に面白く、退屈なシーンが訪れることがない。この物語の核となるのが主人公フィン・シェパードをはじめとするシェパード一家だ。家族の愛情、絆をシャークネードとの戦いの中で育んでゆくハートフルなホームドラマでもあるのだ。「絶大なインパクトのサメVS強烈な個性の主人公たち」というハッピー極まる構図を、従来のサメ映画の常識をブチ破り、ホームドラマをも落とし込んで実現した最強の映画。それこそが「シャークネード」なのだ。
「シャークネード」を語る上で、もう一つ外せない要素がある。音楽だ。何度だって引き合いに出すが、「ジョーズ」の例のテーマを作曲したジョン・ウィリアムズ氏は音楽の効果で緊張感を演出した。しかし、「シャークネード」の場合は音楽で爽快感を演出する。「シャークネード」で使用される音楽の多くは軽快なパンクロックなのだ。しかも、作中で使用する楽曲の殆どが本作の監督アンソニー・C・フェランテ氏自ら演奏するQuintが手がけている。監督の気合いが見て取れる。そして何より楽しそうだ。

その他にも、「パンク界の帝王」として日本でも有名なThe Offspringの楽曲も使用されている。ちなみに私はこのバンドのファンだ。「The Kids Aren’t Alright」が「シャークネード ワールド・タイフーン」のシャークネードからスノーボードで逃げるシーンで流れた時は最高に興奮した。
いいから観ろ

ここまで極端な言葉を多用して「シャークネード」について紹介してきた。しかし、再三再四述べてきたように、B級映画と呼ばれる低クオリティの映画であることは否定できない。サメのコンピュータグラフィックスはプレーステーション2並の前時代的な粗末な出来栄えであるし、役者の演技もわざとがましいことこの上ない。だが、このトンチキな作品に懸けるスタッフや役者の情熱は紛れもなく本物だ。その熱量が観る者を熱狂させるのだろう。B級映画だからと見くびってはならない。我々観客にとって、映画の価値の真なるは、最高の体験ができるか否かという一点に尽きるのだから。腹を抱えて笑うにしろ、乾いた笑いが出るにしろ、鼻で笑うにしろ、この作品を見れば笑顔になること請け合いだ。だから、
いいから黙って映画「シャークネード」を観ろ。
映画情報
- 「シャークネード」2013年
- 「シャークネード カテゴリー2」2014年
- 「シャークネード エクストリーム・ミッション」2015年
- 「シャークネード4」2016年
- 「シャークネード5 ワールド・タイフーン」2017年
- 監督:アンソニー・C・フェランテ
- 主演:アイアン・ジーリング(フィン・シェパード)他
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